映画『セブン・サイコパズ』の感想と目には目を歯には歯を」の本当の意味
セブン・サイコパズ ★★★☆☆
イギリスのクライムコメディー映画、ブラックユーモア満載。
R15だけあって、残虐なシーンが苦手な人は手で目を覆わないと観られないくらい。
題名のとおり7人のサイコパスの7つのストーリーがあって、それが脚本家のネタになっていく、むしろネタとしてコレクションしていく話。
ストーリーもなかなか面白いし、俳優陣も最高!
…なのに完観するのに3日かかった。
途中もういいかな…って思ってしまったのは、コメディーだからかな。
普段観ないからね。
でも、7つのストーリーが集められたその後の展開が気になって結局最後まで観ちゃったよ。
北野武の『その男、凶暴につき』を主人公たちが映画館で観てるんだけど、マクドナー監督が好きらしい。確かに、北野映画と似てる。
サイコパス
それぞれが好き勝手に人を殺していく話なんだけど、この人たちをサイコパスと言うのか、まず疑問。
猟奇的殺人者=サイコパス としてしまうのは安易な気がする。
もちろん同じ疾患(病気)でもそれぞれ症状が違うように、サイコパスもそれぞれのサイコパスによって特徴が違うとしても、一定の定義はある。
サイコパスの主な特徴は、極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義、であり、サイコパスの人間の大部分は殺人を犯す凶悪犯ではなく、身近にひそむ異常人格者であるとされている 。 _Wikipedia
サイコパスは精神異常ではなくて人格障害なんだよね。
この映画のサイコパスは、殺人を自己利益のためだけにしてるって言う感じでもなくて、そこには動機があってその動機に同情できるんだよね。
No.1 マフィアだけ殺し、現場にダイヤのジャックを残すヒットマン
No.2 娘を殺され復讐のために犯人をストーカーするクエーカー教徒
No.3 愛犬のために人を殺すマフィア
No.4 戦争のベトナム人僧侶
No.5 シリアルキラーを狙って旅をする殺人鬼
No.6 No.5とともに殺人をしていたが殺人に疲れたウサギを抱く殺人鬼
No.7 =No.1
「イカれた奴」って訳されることが多いけど、まさにクレイジーだよね。
クレイジーな奴らがクレイジーな話をしているから、話が通じてるのかなんなのか…ゆるくそれぞれが関わっているのに、そこに絆が見え隠れして、本気のサイコパスとは程遠く可愛い。
本物はこんなに可愛らしくないと思うんだよね。
散りばめられたリアル
コメディーのなかに現実味を帯させてしまうんだよ。
急に現実的になるから、よりストーリーに深みが出ちゃう不思議。
脚本があってリアルを混ぜたのか、リアルありきで脚本を練ったのか、とてもクリエイティブな流れになっていて面白かった!
クエーカー教(No.2)
初めて聞いた宗教だったんだけど実在するんだって。
キリスト教プロテスタントの一派の宗教団体で、霊的体験を重んじて神秘体験にあって身を震わせる(queka)からクエーカー(震える人)と呼ばれるているらしい。
実際にはこちらが身を震わせましたよ、その復讐劇に。
無地の服装や喋り方から「変わった人たち」って知られてるけど、何よりも平和主義で非暴力を提唱しているっていうのが一番の教えらしく、娘を殺されても暴力での復習はしなかったんだけど…けどだよね…けど、これ以上ない苦痛を与えたと思う。
ノーベル平和賞を受賞しているんだけど、暴力って肉体的なことだけを指すんじゃないからね。むしろ精神的な暴力のほうが治り悪いから。
娘どころか、妻まで殺されても掴み掛かりもしなかったね。
病院で向かい合うマフィアとハンスの緊迫感ね。
日本人は宗教に疎いからね。説明聞いてなるほどよね。
ティック・クアン・ドッ(No.4)
仏教徒に対する高圧的な政治に対して抗議するために、サイゴンのアメリカ大使館前で焼身自殺をした実在するベトナムの僧がモデルになってるんだって。
支援者たちが見守るなか命尽きるまで座禅を崩さなかった、その姿が報道されて世界に衝撃を与えた…って、検索したら画像やら動画が出てくるじゃん!
映画のなかでもさ、マッチを持って今にも火をつけようとしている僧に仲間の僧が「やめなさい、兄弟。こんなこと無意味だ。」と声をかけたわけよ。
それに対し、怒りが消えたマッチの僧は「意味があるかも。」って囁くわけよ。
その一部始終はハンクが考えたシナリオなんだけど、それをボイスレコーダーに一人で語るハンクにグッときちゃってね。
闇ではなく光を選んだ男の決意に繋がるんだってハンク言うけどさ、光っていうか炎だよ。
クエーカー教も仏教も、宗教ってすごいね。
未解決事件はザカリアが解決してくれていた(No.5、No.6)
ザカリアとマギーは、国中を旅して「旅する人殺し」を殺そうとふたりは思いついたんだって。っえー?だよね。
おかげでシリアルキラーたちは誰も知らないうちに葬り去られていたっていう設定が面白い。
そのシリアルキラーは実際の未解決事件なんだよ!
Case1 ムーンライト・マーダラー
別名ファントム・キラー!カップルばかり狙って銃撃して恐怖に陥れる小麦袋を被った連続殺人鬼。満月の夜にはカップルで外出しないよう夜間外出禁止令が出たほどテキサカーナの住民たちは恐怖に震えてたんだって。
全員殺されたわけではなくて、生き残った人もいて謎。
Case2 キングスベリーランの屠殺者
別名クリーブランド胴体殺人者とか…名前だけで怖いんですけど…。
12人が惨殺されたのにほとんどが身元不明で、それは殺されてから1年以上経っていたり、斬首されていて頭部が見つからなかったり、四肢が切り揃えられた遺体もあったらしい。
男は去勢されてるとか、震えるよね。そこら辺はプロ並みの技術とか。
Case3 ゾディアック・キラー
これは映画で観たわ。すごい挑発的な殺人鬼で、テレビ電話に出演しちゃったりしてね。たくさん証拠品もあるのに犯人にはたどり着けなくて、今現在も未解決。
ザカリアもマギーも殺し方がすごい。
でも面白いよね。ザカリアは殺しに疲れちゃって、マギーはそれを察して離れて生きることになったふたり。それでも忘れられなくて探し出したいザカリア。
「目には目を歯には歯を」の本当の意味
ガンジーは「”目には目を”は世界を盲目にする」って言ってるけど、違くない?最後の一人は目が片方残る、だって相手は両目を潰されてるんだから片方の目が残ってるやつは逃げて隠れればいいんだよ!ガンジーは間違ってたのに誰も言い出せなかったんだ!!!って、ビリーが得意げに言ってる意味がわからなくて調べたんだけど、結局わからず…。
でも調べるなかで、大発見!っていうか、知らなかった!
この言葉、ハムラビ法典に出てくるんだけど、「やられたらやり返せ」っていう意味ではなかったの!
原文に忠実に訳すと「目には目で、歯には歯で」となるらしい。
「目を潰してしまったら自らの目で償い、歯を折ってしまった罪には自らの歯で償う」っていうニュアンスなんだって。
同害報復ではなく過度な報復を防ぐための法だった…って知ってた?
イスラム教のコーランにも載っていて、続きがあった。
報復せず許すならば、それは自分の罪の償いになる。…んですって!
ガンジーやイエスやら、名だたる有名人がこの言葉を派生させて名言を残してるんだね。でも誰一人復讐を勧めてないんだよね。
でも許すって難しいよね。
意外と日本人は復讐好きじゃない?
目には目をって言って、あの人がこうだから私もああしてもいいよね?みたいなのも多くない?
類は友を呼ぶのか、友だから類になるのか。
「目には目を、歯には歯を」でもうビクビクしなくてもいい。
みなさん、良い週末を。
映画『ヒトラーを欺いた黄色い星』の感想とこの映画から連想して思いついたPTA戦略法
ヒトラーを欺いた黄色の星 ★★★☆☆
ドイツがユダヤ人を組織的に行った大量虐殺「ホロコースト」
ユダヤ人差別と迫害の反ユダヤ政策は、12年間続いたんだって。
少しづつ権利が剥奪され、自由が制限され、法的保護が撤回され、強制労働させられ、収容所では人体実験と虐殺が行われて…その内容は本で読むだけでもトラウマになるレベルらしい。
なぜか。
1.宗教的理由:キリストを(間接的に)殺したのがユダヤ人だったから。
2.ユダヤ人の経済的成功:世界征服陰謀説への畏れ。
3.ユダヤ人の社会的成功:身分が低いユダヤ人の成功への嫉妬。
映画の感想だから掘り下げはしないけど、ただの僻み、妬み、嫉みじゃないか。
ノンフィクション+ドキュメンタリー+本人インタビュー
本人インタビューで淡々と当時を振り返っているから、生き延びたことは想像できるのでハラハラするような展開はなく、それでも逃げ回る生活は見ていて緊張するね。
ドラマティックな展開がない分リアルで、同じ日常を生きている人間が悲惨な、無情な状況に置かれているということで感情移入がすごい。
インタビューや映画のなかで語られる言葉ひとつひとつが、とても心に響く。
「ひとりの人を救った者は、世界をも救ったのだ」
「痛みや疲労より辛いのは、孤独でおかしくなることだ」
「あの大変な状況でも笑って入られたのなんて変ね、
でも笑うことで救われると確信したの」
「私たちが大切にしてきたことがあるの。私たちを助けてくれた人たちのことよ。
違うドイツ人もいたってことをね。」
歴史的悲劇を繰り返さないために語り継がねければならない
ヒトラーに関する映画は数多くあるが、そのなかでも生き証人のインタビューが収録されている映画は、私は観たことがなかったよ。
先ほど生き証人とは言ったものの、もうすでに他界されている方もいらっしゃるみたいで、日本でも戦争を知っている人はあとどれくらいいるのだろう?と考えたよね。
何かを伝える手段は今の時代たくさんあるけれど、実際に経験した人の話にまさる伝達手段はないと思う。
生きた証人は生きた証言をする。つまり永遠ではないってことよ。
広島・長崎原爆投下、沖縄侵略、赤札徴収、真珠湾攻撃、神風特別攻撃隊等、日本でもたくさんの悲劇が起きており、それを私たち日本人は学び、二度と繰り返さない。
映画の役割は大きいよね。本当にそう思う。
大きな組織に立ち向かう映画はみんなが好き、それはなぜ?
たまたま、2日連続で実話に基づく映画を観た。
『スノーデン』
エドワード・スノーデン氏はアメリカの大量の機密文書をイギリスの報道関係者に引き渡し、米国政府による国民監視活動が暴露された事件で、スノーデンは現在ロシアに逃亡中。
この事件を善悪やなんやらを語るためにはもう少し知識が必要なので、また次回にするよ。
映画の中で、
「テロを止めるのは爆弾ではなく頭脳だ」というセリフがあるが、爆弾ではないことは間違いではないだろう。でも、止めるのが頭脳なのかどうかは疑問だよね。
邦画『空飛ぶタイヤ』、ドラマ『半沢直樹』も実話に基づいた作品とフィクションとではあるけど、どちらも人気があるよね。
上記した映画も含め共通しているのは何か大きな組織に立ち向かっているところなんだよね。
『空飛ぶタイヤ』や『半沢直樹』のような勧善懲悪なシンプルストーリーが人気なのは、自分自身も何か大きな組織と戦ってるからなんだろうね。
「大きな組織と戦ってる」というと大げさだけど、人間は何かしら集団に属しているわけで、多かれ少なかれストレスがあるって考えると、誰にでも当てはまるよね。
フィクションでもノンフィクションでも、大きな組織と戦っている映画は勇気をもらえるね。
自分ができないことをやってくれるわけだ。
相手が国ともなると、またちょっと違くて尊敬というか尊い気持ちになっちゃって。
私の悩みはちっぽけだわ…なんて思えてきたりして。
こんな命がけなこともないしさ。
同じ日本人に会ったからって泣いて喜ぶこともないしさ。
組織と個、PTAと私
映画やドラマの大きな組織ってほとんどが絶対悪なんだよね。
だから手加減なしでやれる。むしろ手加減したらこっちがやられる。
でも実際現実で戦う相手って、絶対悪とは限らない。それが、困る。
相手も人間で、所属する組織が「家族」になったら、お母さんだったり。
PTAだって絶対悪ではない。組織の(表向きの)心意気は悪くない。
だから思ったのよ、PTA執行部、校長と主要人物で、この映画を鑑賞したらいいんじゃないかって。
本来ひとは安心、安全に生活できていることに感謝しなきゃいけないって。
こんな恵まれた世の中で、何をPTAごときに振り回されてんだって。
みんなが幸せになる方法を考えようよって。
これ、決して投げやりじゃなくてそう思うのよね。
組織を作るのは個だから。
組織する個が総入れ替えしたら、組織は全く別のものに変わるじゃない?
組織に個が少しずつ入れ替わっても、同化するだけ。
で、ここにきて長男の小学校は「ポイント制」導入という時代の流れに逆行スタイルでですよ。
これは個人が変えようと思っても、かなり大変。軽傷では済まないかもしれない。
ルールを作るときって、すでにどうしようもない状態になった時にできるものでもあるから、PTAが定めたルールに抵抗しようにも、頑張れば頑張るほど個人は排除されるんだよね。
PTAが一人歩き状態。
だからね、組織のなかの個を一気に総入れ替えするしかないんだよ。
現実には無理だからね。
個のなかを変えればいいじゃない。
絶対悪の人なんかいないんだしさ。
水野晴郎さまもおっしゃってますよ。
本当にいいね。
私がPTAをやりたくない6つの理由!やりたくない理由からPTA問題を考察していくよ!
ざわつき。
ざわつかれ。
ざわらせて。
PTA問題が話題になる時期だね。
時代が変わっても、世の中が変わっても、微動だにしなかったPTA。
少子化だー!共働きだー!って、周りでわちゃわちゃしていても、まったくブレることなくそこに存在しているPTA。ハビシロコウかよ。
謎の組織だからさ、世間とはかけ離れたところで活動してらっしゃって。
なんてったって戦後まもなくから存在する組織なのに、ほとんど方法論が変わっていないらしい。もう100歳近いってこと?
PTAったらとんでもなく嫌われてて、それでもなんでかいつも行事の主役なのはなんでなの?
必要ないとか言われちゃってんのに、巨大な力を持ってみんなに怯えられてるのはなんでなの?
認識としては、今のところ非営利の権力者集団なんだけどあってる?
私はまだ未経験のために、実際の活動は全く知らない。
だけど、本当に大っ嫌い。
アルファベット3つ並ぶ組織の中で、一番嫌い。
なんでこんなに嫌いなのか、考察してみる。
(ちなみに、少年スポーツ団と学童保育の役員は経験済)
1 大人の汚い部分がモロにでる
役員を逃れるために嘘の言い訳、押し付け合い、醜い争いを目の当たりにすと萎えるわ…。自らすすんでやった人でも、やらない人を凶弾…結果、問題すらすり替えられて専業VS兼業みたいなことになる。
「子どものため」「子どもがお世話になってる恩返し」「社会奉仕」…立派な言葉でPTAを正当化するんだけど、それ言われると怯んじゃうよ。罪悪感もっちゃうよ。
そうゆうのは自分のなかで言ってよね、人に押し付けるのはよくないよ。ずるい。
で、苦労してやった人はやってない人が許せない。
同じ苦労をさせたがる。
悪口、陰口、誹謗、中傷、なんとしてでも悪者にしたがる。
それも「平等」という正義の仮面を被ってくるから、怖い。
2 時間的拘束と活動内容の効率の悪さ
とにかく時間が長い。
学童保護者会なんて13時にはじまって17時までだよ?もちろん全体の会は15時くらいに終わるけど、2時間の会議って考えたらそれも長いし、行事担当は会が終わってからさらに話し合い。
1回の集まりもだけど、大したことじゃないのに何回も集まるのも苦痛だよ。
平日でも土日でも、そのために時間を作ってるってことをもっと意識して進めて行こよ、頼むから。時間は有限だってこと忘れてない?
有職者、自営業、人によっては仕事とPTAの板挟みで神経すり減らすよ。
前任の整ってない仕事の結集を引き継ぐ時点でかなり労力使うのに、さらに改革する余裕なんてなくて、なんとか改革しようとしても出る杭はことごとく打たれる。
例年どうりが好きね、ほんと。
さすが戦後100年守ってきてるだけあるわよ。
3 重要性を感じない
学校、教育委員会、PTAが協議できていない時点で、問題の解決ができる仕組みができてないように思えてくる。
活動自体が無意味に思えてくる。
柔軟に対応できてない、ただの恒例や慣例として動くのならば、ただ責任を背負うだけ。重要なことだとは思えない。
4 歪んだ人間関係に巻き込まれる、もしくは巻き込まれないように気を遣い疲弊
メンタルの強弱、エネルギーやモチベーションの違い、もちろん能力的な違いがあるなかでボランティアでやれるのは、時間的にも精神的にも余裕がある人の集まりじゃないと平和には行かないよね。
実際、仕事だったら割り切れるっていうのは「仕事(報酬があるから)」だからな訳だし。
で、やっぱり価値観の違いは大きい。
PTAが任意加入だということを知らない人がたくさんいるんだよ、周りに。
それって面倒だと思いながらもその制度に疑問を持たないで、ごく自然にやらなきゃいけないものだと認識しているわけよね。
田舎とかだとまだまだいるのよね、PTA至上主義、絶対主義みたいな人がね。
その人たちの考えって「やる人がいないから仕事を減らす」じゃなくって、「やってない人がいるからその人のために仕事を作ってやらせよう」なんだよね。
もう、この二人交わることないよね。
ピエール瀧が逮捕された時に、ピエール瀧は思ってた以上に違う世界で生きてたなって、どうやったってそっちの世界とこっちの世界は交わることないよねって思ったじゃん?
まだ、「芸能界」だったら交わる可能性も5mmくらいはあっただろうに。
そんな感じだよね。あっちの世界とは交わらない。
5 犠牲になるものが大きい
まず、時間。一にも二にも、時間。
仕事の時間、家族との時間、自分の時間。
正直、そんな時間あるなら寝ていたい。
2時間拘束されるなら、映画1本観てたい。
精神的消耗も大きい。
これ以上、嫌いな人を作りたくない。
噂話や人の嫌なところ、知らなくていいことは知りたくない。
純真無垢なままでいたい。
6 女の生きづらさを目の当たりにする
これに関しては、話が長くなるから別の記事に書いてるよ。
どうしたらPTAを好きになれるか、また別の機会に考察してみるね。
最後に、記事とはだいぶ温度差がある映画の紹介!
PTAの問題を考えるとき、必ず頭に浮かぶ映画。
と言ってもPTAと言ってもそっちじゃなく、
「PLANES.TRAINS AND AUTOMOBILES」こっち。
コメディーはほとんど観ないし、観多としてもながら観になってしまうんだけど、この映画は最後まで食い入るように観たコメディーだったんだよ。
もういっかい観たいな。
ヨガをはじめたくなる映画『シャンティデイズ 365日、幸せな呼吸』★★★☆☆
洋画しか観ないんだけど、ヨガをはじめたから観といたほうがいいかなって。
どちらも知らないアイドルなんだろうと思って観はじめたら…
道端ジェシカ。
このイメージがあって、三姉妹ともにこんな感じのイメージが混じってたから、あんまりヨガとがナチュラルなイメージがなかったものでね。
パーリー三昧、主食はシャンペン、踊り狂ってダイエット、エステ中毒、みたいなイメージが先行してたよ、ジェシカごめん。
なんと、ヨガ歴は10年以上だって。
この映画は、道端ジェシカによる道端ジェシカのための映画だったわ。
道端ジェシカ初出演、初主演で、道端ジェシカの魅力が余すことなく詰まってた。
それと、ヨガの魅力。
これでヨガ始める人たくさんいるだろうな。
ヨガスクールの様子も十分わかる内容で、道端ジェシカのスクール以外に2つのスクールが出てきて、雰囲気の違いが違うことも味わえたことが良かった。
ホットヨガではないから、LAVAとは空間が違うけどやることはほとんど同じ。
でも、道端先生。
からだは素晴らしいけど、インストラクションが雑い。からだは素晴らしいけど。
クラスが中級以上だったと思う。
LAVAはもっとかなり丁寧にガイドしてくれてる。
動きのひとつひとつ、息の吸い方とタイミングまで。
クラス選びとインストラクター選びは、ヨガを続けるに当たってかなり大切だということだ。
この記事で語っちゃったよね。
だけども、からだは素晴らしい。
ちなみに、お顔も素晴らしい。
プロフィール画像探してるところなんだ♡だめ?
こんだけ時代が変わっても、人前でキスをすることにはかなりの抵抗があって、そんなことでやっぱ日本人だわって実感しちゃうんだけど。
ジェシカったら、外国暮らしが長いし、恋人はサンタクロースじゃなくて外人だからか、まぁチュッチュチュッチュと、週刊誌にとられてるんだよね。
でも全くもって問題にならないのが不思議。
だって、言葉ひとつ、行動ひとつ、意図としないことでギャースカ騒がれるのにね。
みんな美しいものには弱いし、寛容なのね。
そんな美しい女が3人。
似てるけど、並ぶと見分けがつくほどには個性があるんだわ。
好みはそれぞれだけど。
そして、この映画のもうひとりの主人公役の海空役の門脇麦。
前半はとてつもなくブスに見えたのに、後半は可愛いという不思議。
津軽弁も可愛いとは思えなかったのに、だんだんと可愛く聞こえてくる。
それにしても本気の津軽弁は、字幕がないと理解できないほど異国感があるんだね。
ヨガによって前向きにハッピーになっていく様子が、わかりやすく演出されていたね。
ただ、海空の性格はななかなか癖が強い。
しかも空美(道端ジェシカ)と全く真逆の女同士で同居して、あんなにうまくいくか?
ストーリーは王道。
ヨガによって自信をつけていく田舎娘と、ヨガのインストラクターもやりながらモデルとして成功してる生活が少しずつ崩れていく都会の女の話。
ふたりが生活を共にしながら、それぞれ成長していったな。
正直なんの驚きもないストーリー展開で、綺麗に最後までまとまってた。
起きるハプニング等を含め、フィクション感が強いね。
洋画しか観てないとなんとなく、邦画って漫画チックで不自然とまではいかないにしても演技ががってるように感じるんだけど、この映画はコメディーにはなってなかったし、感情移入もできた。
呼吸の大切さ、自分と向き合うことの大切さが強調されていて、思わずほろっとしたところもあったんだ。
文字で書くと大したことでもないのに、できてないんだろうね。
呼吸は無意識にしかしてないし、自分の心の声を聴くと言うことも意識しないとやらないもの。
携帯やPCがわからないことはなんでも教えてくれるけど、自分の気持ちは教えてくれないもの。
そもそも、寝てる時以外に目を閉じるような時間ってある?
ヨガヨガってさ、そのうち猫の名前にでもつけられそうな勢いでお勧めされてるけどさ、結局は現代人には時間がないから強制的に作るためにヨガが勧められていて、普段から深呼吸したり、軽く運動したり、目を閉じて自分の気持ちに向き合う時間があればヨガは必要ないんだろうね。
が、ヨガの歴史は古いらしいから、実際はやることなくて暇だったから遊びの延長線上で考えられたのかもしれないし。
だし、ヨガはインドがはじめたんでしょ?
インドもこれって言う何か名物体操なものをっていうところから、日本はラジオ体操が国民的な健康法らしいし、中国じゃ太極拳っつーのを朝一で公園に集まってやってるいうから、じゃあインドはヨガでって。
それこそインドの国王が、上手にひれ伏すためにやらせた柔軟体操かもしれないしって、怒られる!
インドに怒られる!
残念ながらこの映画にはそこらへんのルーツ的なもののことは描かれてなかったけど、ヨガを全く知らない人、ヨガ初心者にはちょうどいい映画でありました。
マチルダの独り言、はじめます。
LEON 1994
Mathilda:I finished growin'up,Leon.I just get older.
「もう大人よ。あとは年をとるをとるだけ。」
Leon:And for me,it's the opposite.
I'm older enough.I need time to grow up.
「俺は逆だ。年だけはとったが、これから大人に。」
公開から25年。
マチルダも鉢植え(「アグラオネマ」)抱えて、25年。
当時12歳。
あれから25年の月日を経て、マチルダ現在37歳。
12歳のマチルダはあのときが辛くて早く大人になりたかったから。
…なったよね、大人に。見た目は立派な37歳。
37歳っていったら、もう人生の折り返し地点くらいじゃないかな。
マチルダボブはちょっと厳しいし、チョーカーも食い込んじゃうからしてない。
Mathilda(12) : Is life always this hard, or is just when you're a kid?
「大人になっても、人生は辛い?」
Leon : Always like this.
「いつもこんなもんだ。」
Mathilda(37) :It's so hard.And spisy!
「とてつもなくハード。間違いなくハード。
でも、スパイシーでもあるよ!♡」
そんな、ハードでスパイシーな日常を。
マチルダの独り言、はじめます。