海外ドラマ『ウェントワース女子刑務所』シーズン6第10話/薄れる記憶の感想を独り言。政治家って攻めてるよね!
看守3人組がファーガソンではない誰かに脅迫されてオロオロして、マリーの周りは騒ついてる。
ラスト2話でどんな着地をするのか…。
************ ネタバレ **************
サイコパスのソーニャがまさかブーマーの弁護費用を払ってくれていた。
死んでしまった後に、こうゆう形でその人の優しさが発覚して他人の記憶に残るっていいね。ソーニャの悪事が消えていくもんね。
ソーニャもブーマーに対しては害がなかったからだろうけど、敵意を持たなかったんだよね。ソーニャなりにブーマーに気を許してたんだね。
ブーマーはソーニャが好きだったから、ソーニャを殺したカズを攻めたね、エンジェルだったと。
それぞれの立場で考えると、人の写り方ってこんなに変わるんだね。
誰にでも好かれる人はいないし、誰にでも嫌われる人はいないってこと?
関わり方や距離感の問題なんだよね、人間関係って。
絶対的に変わらない関係って、家族でさえないしね。普遍的だよね。
でも距離の取り方や関わり方が上手い人っているんだよね、マリーみたいに。
関わる人みんなを虜にしてしまう。
ザラの忠誠心はマリーへの愛だったし…まぁそうだよね、そうじゃなきゃ他人のために殺人までしないよ。
マリーの魅力はわたしもぷんぷん感じてるんだけど、凛とした美しさと冷静さと人を操る賢さと…でも、あなた…リズの安楽死はなんなの?
狡い。本当に、優しさの仮面を被った悪魔だよ、あなた。
「ごめん」って言って立ち去ろうとするタイミングも、リズが引き止めるのをわかって立ち去ったよね。悪魔だよ、綺麗な顔して。
リズは自分の人生をコントロールしたいと言ったけど…言ったけれどよ。
リズのためにはどちらがいいんだろうって、一瞬は安楽死もありなのかなって思ったけどそうじゃない。今じゃない。
こうゆうときのカズの人へのことばのかけ方って上手いよね。人を説得する力というか、なだめ方というか、寄り添い方がさ。
リズとカズの信頼関係があるからこそなんだろうけど、追いつめられたときにそばにいてくれる人がいると救われるよね。
リズは自分のせいで周りを振り回している罪悪感と、自分自身が信じられない不安とで「自分は壊れかけてる」と言ってるのが切ないね。恐怖だろうなぁ。
でもリズ…アル中だったときの方がよほど壊れかけてるよ。
トラクターで義母を轢くなんてぶっ壊れすぎ。
知らぬが仏っていうやつだよね。自覚がなく壊れてるなら怖いもの無しだけど、壊れていく自覚があるまま生きるのは不安だろうね。
第9話の感想で、リタはロン毛のおじさんが好きなのかな?って疑問に思ってたけど、どうやらリタも愛してたんだね。
潜入捜査をしてるうちに知り合ったっていう設定なの?潜入捜査をしていることは秘密にしているみたいで、素直にプロポーズを受けられないジレンマで泣いてたね。
恋人に何かを秘密にして付き合うって大変だよね。
秘密といえば、ウィルはカズに、ジェイクはマリーに、それぞれファーガソンの件を口外してないか確認してたけど、秘密を守るのも大変だよね。
ジェイクもさ、悪い人ではないし頭も悪くないのにって言ってたけど、やっぱり自己中だった。小手先で他人任せに物事を解決する安易さが、状況を悪くしてる。
ヴェラのお金をあてにするジェイクに、ウィルもドン引きだったわ。
そうゆうところがダメなんだよ。やっぱり自分本位なところが、自分に返ってきてる気がする。
本当に自分に返ってきちゃったね、マリー。
薬で殺そうとしたけど、自分が薬で死にそうになっちゃったよ。
このまま死ぬわけないだろうけど。
ドラマ自体は、なんだか失速してるね。
今までが緊迫した状況すぎて、ちょっとやそっとじゃ刺激にならなくなっちゃったのかな。
トップドック争いがないもんね。落ち着いちゃって。
マリーも悪いけど、姑息で真っ向から仕掛けるタイプじゃないしね。
今後はルビーとリタがどうなっていくかに注目だね。
それと看守3人組への脅迫が、本当にチュニングなのかどう動いていくのか。
攻めるのか守るのか
高齢者の運転した車の事故が大きなニュースになっているけど、やっぱり超高齢社会に社会が対応仕切れてないよね。
免許も車も、そして道路も、80歳が運転することを想定してないもん。
教習所で出てくるお年寄りは、道路を渡る方だもん。
世の中がこんなに長生きして暮らせるように想定して作られていないんだよ。
だから、超高齢社会の仕組みを作らなきゃいけないよね。法律や年金含めてさ。
世の中の変化が早すぎて、追いついてないことってたくさんあるね。
超高齢社会ももちろん女性の社会進出、核家族の育児支援、発達障害への理解、性教育、IT教育、年金、PTA問題…大昔のことがそのまま引き継がれていることがあたくさんあるし、法律だけではなくて、人もまた考えが追いついてないことがたくさんある。
多様性っていうことなんだろうけど、日本人にとってこの多様性って難しいんだよね。多様しちゃいけないっていうことを教えられてきたもんだから、いきなり多様性って言われても受け入れられない。
自分も多様ってなにすればいいの?だし、他人の多様もなかなか飲み込めない。
その時代の人が法律やらなんやら作ってるわけだしね。
人ごとじゃないよ、わたしも。
これはどうかな?って思っても何かを変えるのって労力いるんだよ。
流される方が楽、何も疑問に考えないで。
そう思ってしまったら動けなくなってしまう。
これが守りに入るってことなのかしら?
でも、守りは最強の攻めだって知ってた?