世にも恐ろしい職場にいるおばさんに、わたし自身もいつの間にかなっていました。
人がお互いをよく知れば、憧れも憎しみも生まれないだろう
という、エルバード・ハバードの格言を実証するために、職場の世にも恐ろしいおばさんたちに少しだけ寄り添ってみたいと思います。
寄り添うのは、自分のためです。おばさんのためじゃなくていいです。
人間関係を少し違った見方をすることで、楽になりますように。
気がつけば、おばさん
気がつけば、わたし自身がおばさんになっていました。
20代半ばで退社して、約8年ぶりに社会復帰したらそこは浦島太郎の世界で、私はおばさんになってました。
だからこそわかる。おばさんのおばさんに陥る理由に迫りたいと思います。
話題は子どものことか夫の愚痴
これね、若い子には全く興味のないことなんですよね。楽しくもないんです。
なのに、おばさんの話の半分はこれなんです。
ちなみに後の半分は事件と芸能人のニュースです。
子どものことか夫の愚痴は、おばさんが主婦としてうまく渡り歩くための、ひとつの武器になります。
こう言えばこう返ってくると言う大体の予想がつく会話の流れで、さらに共感力を駆使しておばさん同士で盛り上がり、仲間意識を作るとても必要不可欠な技です。
さらに子どもや夫、義家族等、家庭で起きる事件をどう乗り越えたかというのは、おばさんにとって武勇伝なのです。
おばさんになると会社でのポジションも花形の営業より、裏方の事務になることが多いので、自己肯定感は意外と低いです。そこで、重要なポジションで重要な任務を成し遂げたというのは自分の自己肯定感を保つために何度でも言いたくなるのです。
変わって謝ります、ごめんなさい。
なににおいても悟ってる
なんせ、おばさんのビックセールポイントといったら経験値です。
特に未婚の女の子や男の子が、まだ絶対的に足を踏み入れてない分野での経験は負け知らずです。
さらにいまの自分の人生の選択が間違ってないということを、自分で確認したいがために人に経験したことを語りたくなってしまいます。
懐かしむ気持ちもあります。だって若い子が今置かれている状況は、おばさんにとったらもうひと昔前の話ですから。
あの頃、この頃を引き出して、そこから得た教訓を言いたくなってしまいます。
そんなつもりないのに、人生の先輩ぶってしまうんです。
そもそも経験してから言えることなんて結果論だから、聞いてる方はつまらないし鬱陶しいですよ。
若い子は現在進行形で過程の話をしているのに、いきなりドヤ顔でバサっと切ってきますから。
代わって謝ります、でしゃばってごめんなさい。
わたしキャリウー
そんな風にプライベートでの経験値を売りにするおばさんもいるのですが、仕事に対して攻めるおばさんもいます。
でも、何だろう…気持ちとは別で体がついていかないんです。
ガツガツドタバタ、不要な音が出てしまうんです。
昔は痩せていたし、もっとスマートに動けたはずなのに今や、寝ても覚めても疲れがとれないこの体…。
独り言も多くなるし、ため息も多くなります。
頭もなかなかついていけなかったりするんです。で、パニックになっちゃうんです。
パニックになったら、眉間にしわが寄ってしまうんですよ。
パソコンも壊れない程度に叩き打ちします。
声も態度も大きくなります。
家庭の問題ってなかなか自分の思い通りにならないことが多いのです。子どもは反抗的になっていくし、夫は一緒に暮らしてるのに話もしなくなっていきます。
そこで仕事に情熱を注ぐ、もしくは逃げに、もしくは八つ当たり的に、仕事をするおばさんもいます。
仕事くらいは自分の思いのままにしたいのです。
これしか、おばさんには残ってないのです。
代わって謝ります、斜め上に頑張ってごめんなさい。
独身時代、昔の時代は最強説
過去の栄光にしがみつくおばさん、いますね。
しがみつかせてください。
おばさんは自分が嫌いなのです。
体型に容姿、どんなにあがいても老化は止められません。
誰も褒めてくれないのです。自分に自信がないのです。
何なら過去は美化されてしまいます。
そもそも時代が変わって若い子が聞いたら自慢にもならないような話も、その価値観が変化したことを知らずに得意げに話してしまいます。
おばさんに限らずに過去の栄光はほとんど自慢話ですから、それは誰が聞いてもつまらないですよ。
独身時代に限らず、昔は良かった話も面倒ですよね。
昔は電車でタバコが吸えただの、亭主関白が当たり前だっただの、本当にどうでもいいです。
これ共通するのは、今に満足できてないんです。
それにちょっぴり、今の若者や今の時代をディスリたい気持ちもあるんだと思います。
日本人は我慢や苦労を美徳とするので、楽になることを甘えることを悪とする感情が出てきてしまうのです。
代わって謝ります、いつまでもすがってごめんなさい。
おばさんの色気
昔はモテたんだろうな…という面影を残したおばさんがいます。
いつまでもお姉さんにしがみつく、女をプンプン出したおばさんです。
むせかえるくらいの香水と、ロングの巻き髪をまとめて片方の肩へ流します。
休憩時間の半分は化粧を直し、髪を巻きます。スカートはミニ。
デスクでは営業が外勤から帰ってくるたびに鏡のチェックして、男の人をモロに意識してるのがわかります。
これは同じおばさんから見て、見習うべきおばさんなのかもしれません。
いつまでも女を忘れないという心意気は素晴らしいです。
どうしても生活が出てきてしまいますからね。
何がめんどくさいかって、モテる女に敵意をもつことです。これが本当に迷惑。
この女おばさんは自分がおばさんになったことを気付きながらも、受け入れられてないのです。抵抗したいのです。
少し前まではちやほやされていたのです。なかなかおばさんポジションにはなれないのです。
代わって謝ります、おばさんも模索中なのですごめんなさい。
開き直りおばさん
サバサバを勘違いしているおばさんがいますね。
おばさんになったら、サバサバしたかっこいいおばさんに憧れます。
だって可愛いおばさんではいられないから。
家庭で仕切っているのはこのわたし、何でもこいやっていうやつです。
何でも経験してきたからビクともしないよ、わたしっていうやつです。
それがどうした?ってやつです。
それを勘違いすると開き直り、やけくそ、大雑把、雑になってしまいます。
人の気持ちにまで、そうなります。
言葉も選びましょうよってなる。
何でだろうね、わたし裏も表もないからとか、サバサバしてるとか、一見それ相応にみてる理由を免罪符に人を傷つけたり、責任を逃れる人っていうのは何なのだろう。
ババァだからぁって自らを下げるようなこと言って、周りは反応に困るし、そんなこと言ってほんとうは本人影で泣いてるんだよ。
確かに、おばさんはいろんなことを経験しています。
いろんなことを経験して強くならざるを得ないんです。
でもその先は優しくならなきゃいけません。
自分が乗り越えたことを、他の人も大丈夫だと思ってはいけないと思います。
鈍感じゃなきゃやってこれないこともあっただろうけど、他のひとの痛みに鈍感になっちゃいけないのです。
代わって謝ります、強くなりすぎてごめんなさい。
さて、どんなおばさんになろうか?
おばさんにはおばさんの見えてなかった人生があるんだなってことは、より想像できるようにはなったと思います。
でもだからと言って、許せとかそうゆうつもりはありません。
おばさんはおばさん道一直線ですからね。
おばさんのひとりとして、わたしもまだおばさんに抵抗があるのでこんなおばさんになりたくないとは思いながらも、そうなってる自分がいることに震えます。
愛すべきおばさんを目指そうと思います。
お姉さんからおばさんになる戦う女たちへ贈るSia3曲